私たちは誰しも年を重ねているわけですが、こんな風になっていきたいなと、イメージはありますか。
本日、テレビの情報番組で、憧れる有名人に関する新聞記事(日刊ゲンダイ)を紹介していました。
ベスト5は以下の通り。(敬称略)
1位 吉永小百合 (73)
2位 所ジョージ (63)
3位 加山雄三 (81)
4位 タモリ (73)
5位 八千草薫 (87)
皆さんとても魅力的な方々ですね。私も子どもの頃から八千草薫さんには憧れていました。
思うに、一生を過ごす上で、「経済力」「社会的地位」「人脈」「体力」「発言力」など、目に見える「力」がものを言う時期は確かにあるのだと思います。
しかし、現実にはどんなに権力を手にしても、嫌われてしまう人はいますし、大きな権力を持っていなくても、周りに人が集まってくる存在はあります。
還暦を迎えようかという時期に入ったら、いつ人の助けが必要となかるかもしれず、最後は「人間力」なのかな、と思っています。
人間力?・・これにも言葉の上では「力」という字が付いていますが、上記のソレとは違うことは十分におわかりのことと思います。
これは「力」として示すものではなく、周囲の人が魅力として感じるものですよね。
高齢者施設で働く職員は、どの入居者にもきちんと必要な事は仕事として行いますが、なぜか自然と気にかけてあげたくなる入居者が居るそうです。
その人と会話すると癒されるとか、ユーモアがあるとか、どこか気持ちに余裕のある人は得をするのかもしれません。
お高くとまって、上から目線でものを言う人もいますが、将来、誰かのお世話になるのでしたら、「いつかはお世話される人になる」ことも、頭の隅に置いておいた方が良さそうです。
「俺は校長をやってたんだぞ。」「俺は医者だぞ。」「弁護士だぞ。」そんな風に、いつまでも偉そうな態度でいると、楽しい老後は来てくれないかもしれません。もちろん普通の主婦にも、嫌味を言う人や自慢の多い人は居ます。元ボスママだったという強者も居るでしょう。老いた時の在り方というのは、誰にとってもテーマとなります。
身体の機能が衰えていく。
そういう現実を受け入れていくのも終活です。
よく年齢で丸くなったと言いますが、私はそうとも限らないと思っています。確かに若い頃と違うなぁという印象の事もありますが、それは単に面倒な事、疲れる事を止めただけ。表面的に見える部分は変わっても、「思い込み」やら「決めつけ」やら、新しいものを受け入れないなど、固くなっていく面もあると思っています。
有名人で例えたら、若い頃は派手なビジュアル系のメイクをしていたロックグループが、年齢とともに素顔の様な自然で楽な姿に変わったものの、中身はまた別だということ。長く生きていればいるほど、こだわりはあります。そのこだわりを人にも向けてしまうと、「頑固さ」となって表現れてしまうこともあるのです。
心の柔軟さを身につけておくと、何歳になっても、その人が生きていること自体が周囲の人を癒し、人の役に立つことになるのですね。
上記の有名人の方々は、女性は凛とした生き方にもかかわらず、柔らかな雰囲気で、男性陣は皆さん、いつも笑顔ですよね。
では、その柔軟さはどうして持てるのでしょうか。
それは「感謝の気持ち」を忘れないこと。人は決して一人では生きらませんし、成り立つ仕事もないのです。いま手にしている力は、全て自分の努力の結果などと勘違いしてしまうと、大変な事になりますよね。
本当は現役バリバリの時から、こうした在り方でいれば、きっと夫婦仲も、周囲との人間関係も、より良いものにしていけるのでは。
・・・しかし困りましたね。たったこれだけの事も出来ない、意地っ張りの人がたくさん居るのです。だからこそ、理想通りとはいかなくても、こんな風に在りたいとイメージできる人は、その方向へ向かえると思うのです。
ストレッチ運動をせずに楽をしていると、身体が固くなっていく様に、心の状態にも意識を向けて、時に多少の痛みを感じても、「お世話になる身」という立場の変化を受け入れて、柔らかくほぐさないと、どんどん固くなってしまうかもしれないですね。
もちろん頑固者を通すのも自由です。ただし日々の生活で会話や笑いが少なく、周囲が愛想つかしても、自己責任で。
子を持ったのに疎遠となり、ご近所との接点も拒否し、公的な支援を受けようとせず、心を閉ざしたまま孤独死に至る存在も、心がもっと柔軟であれば、全く別の最期を迎えられるのだと思います。
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